留学した彼女との震えるような別れから4年〜やっと、あの時の自分を振り返ることができる〜

イラスト:新倉サチヨ

ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。

胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。

ハロウィンパーティーの3次会で酔いつぶれた私。翌朝、目覚めたら裸でした

可愛さ余って憎さ百倍という慣用句がある。我が身に引き付けて解釈すると、当初は「かわいい」と思って心を許しただけに、裏切られたりしたときのショックが大きく、その埋め合わせを求めて相手を憎んでしまうのだ。

最愛の恋人の心変わりを知ったときに本気で「死ね」と叫んでしまったと告白する男性がいる。教育関係の会社で勤めている高橋隆一さん(仮名、38歳)だ。俳優の綾野剛に少し似ている細身のイケメンであり、話し方は軽やかで穏やか。女性に暴言を浴びせるタイプには見えない。

「冗談ではなく他人に『死ね』なんて言ってしまったのはあれが初めてです。最初で最後にしたいですね……」

隆一さんが8歳年下の美幸さん(仮名)と出会ったのは2012年の春。美幸さんは隆一さんが会社で担当する留学プロジェクトの参加者、すなわちお客さんだった。

当時、美幸さんは23歳。海外関連の仕事を目指して、語学に強い大学に入り直していた。他の参加者よりも5歳ほど年上だったため、隆一さんは美幸さんが孤立しないように気を配っていた。

「その年のハロウィンで、知り合いが大きなパーティーを開くことになりました。外国人もたくさん来るようだったので、その子を誘ってみたんです。お酒の入る場なので未成年を誘うわけにはいきませんしね」

言い訳をしているが、美幸さんだけを誘ったのは好意があったからだろう。パーティーの3次会で酔いつぶれた隆一さんは美幸さんにタクシーで自宅まで送ってもらい、そのまま2人で一夜を過ごしてしまった。

「本当に記憶がないのですが、目が覚めたらベッドの上で2人とも裸で寝ていたんです。まずは『仕事的にヤバい!』と思いました。相手はお客さんなので……。当時の私は古風な考え方をしていたので、体の関係があった以上は責任を取って結婚をしなくてはいけないとも思いました。彼女のほうはそこまで気にしていないようでしたけど」

一生懸命な人を見ると、「オレにできることはないのかな?」と自分もがんばれる

一見すると遊び人風な隆一さんだが、恋愛には奥手なほうで普通の友だちから男女関係に至るまでのハードルは高いと自覚している。だからこそ、いったん付き合うと身も心も相手に没頭したくなるという。

隆一さんは子どもの頃からあるスポーツ競技に打ち込んでいた。全国大会に出るほどのレベルのまま大学に進んだが、怪我のために継続を断念せざるを得なくなる。大きな挫折だったと隆一さんは振り返る。

「その頃、高校時代の同級生と付き合っていました。競技の夢が閉ざされた後、今度は彼女を幸せにすることがオレの目指すところだと思い込んでしまったんです。自分という存在を認めてくれる唯一のパートナーを求めていたのだと思います」

26歳のときに彼女と結婚したが、3年後には離婚に至る。隆一さんは現在の会社で忙しく働いていたが、彼女のほうは仕事も家事もせずに「家でダラダラしているだけ」と感じてしまったのが原因だ。

「相手には頑張っていてほしいんです。私はそれを応援したい。一生懸命な人を見ると、『オレにできることはないのかな?』と思って、自分もがんばれるからです。ちょっと女性っぽい考え方かもしれません」

他人を応援する気持ちは素晴らしい。しかし、同時に「他人は他人、自分は自分」という割り切りが必要だと筆者は思う。その線引きがあいまいになると、自分が果たせなかった夢の実現を我が子に要求する親のようになりかねない。

隆一さんと美幸さんの関係は最初から不安要素を抱えていた。一晩をともにしてから付き合い始めた後で、美幸さんには「彼氏っぽい」人がいるとわかったのだ。

「私は彼女を奪う形になってしまいました。2年半後に私にもしっぺ返しがくるのですが……。彼女はその人から大学に入り直すお金を工面してもらっていたようです。そのままではマズイので、お金をちゃんと返してから私のところに来てほしいとはお願いしました」

海外志向の恋人。待ち続ける自分。結婚生活の準備を始めていたら……

隆一さんは美幸さんが通う大学の近い場所に住んでいた。付き合い始めた後、美幸さんは隆一さんの家に入り浸るようになり、半同棲の生活が始まった。

「彼女から『ありがとう』などの嬉しい言葉をもらうために、ノートパソコンやipadを買ってあげたりしていました。もっと喜んでもらえるにはどうしたらいいかな、と考え続けていましたね。私は彼女に利用されたのだと思います」

その後、美幸さんは念願のアメリカ留学に飛び立つ。隆一さんはスカイプやメールを駆使して、毎日、美幸さんと連絡を取っていた。

「彼女は見た目もかわいいので、現地の日本人教員から言い寄られたりしていました。『学校の成績をつけてもらっているので無下には断れない』なんて言うので、私がお断り文面を考えて彼女にメールしていたんです」

不安になりながらも隆一さんは待った。クリスマスは自分もアメリカに行き、美幸さんと仲良く過ごすことができた。安心して帰国した隆一さんは「彼女が帰って来たら結婚したい」と思い始める。そのためには2人の環境を整えなければならない。

「引っ越しをするためにお金とダンボールを貯め始めました。料理の腕も上げるためにクッキングスクールにも通い始めたんです。彼女からキツネに似ていると言われたことがあるので、キツネの絵が入ったエプロンも買いました」

隆一さんには申し訳ないが、ちょっと先走り過ぎた行動だ。海外で楽しく学んでいる美幸さんは「日本に帰ったら愛情と義理で束縛される」と感じたかもしれない。そして、連絡が途絶え始める。

「毎日スカイプしていたのに、3日に1回ぐらいのペースになりました。友だちの家に泊まるから、なんていう理由で。そのうちに『もう1回、留学に行きたい』と言い出したのです。応援するけれど、オレも安心したいし将来のことも考えたい!と伝えました」

彼女との朝9時のスカイプ。部屋の背景がいつもと違う。どういうことなのか

焦りが募る日々。あるときスカイプがつながった。日本時間は夜の12時。当時、隆一さんは自分の時計をアメリカ時間に合わせていたので(これもやや重たい行為だ)、美幸さんのほうは朝9時だとわかってしまった。いつもと部屋の背景が違う。どういうことなのか。オレたちは付き合っているんだから、言いにくいことでも正直に言ってほしい。

すると、美幸さんは本当に事実を明かした。好きなアメリカ人ができて、昨日から彼の家に泊まっている、と。「ゴメン」と美幸さんが言った途端に隆一さんの怒りと悲しみが爆発。冒頭の「死ね!」に至り、パソコンのスイッチを切った。

「本当に怒ったときは体が震えるんですね。その夜は一睡もできませんでした……。翌日は土曜日で休みだったので、自宅にあった彼女の荷物をすべてダンボールに入れて彼女の実家に送りました。それから弟を呼び出したんです。悪いけど今日は1日付き合ってくれ、と」

隆一さんは弟とお揃いのアメリカ製シューズを買うことから始めた。アメリカ製品の不買運動をするのではなく、逆に買うとはどういうことか。

「アメリカを踏みつけてやりたいと思ったからです。新宿のバッティングセンターでは120球ぐらい打ちました。アメリカが生んだベースボールを打ちまくってやったんです。その後、アメリカ人の太めの女性がいるガールズバーに行って泣きました。抱きしめてもらいましたよ……」

滑稽な行動ではあるが、絶対的な悲しみは笑いに変えたほうがいいのかもしれない。そのプロセスに丸1日かけて付き合ってくれた弟にも感謝だ。

新生活のために貯めていたお金は「お酒を楽しく飲んで忘れる」ことに使った。採算度外視のイベントを主催し、多様な人たちと交流することができたと隆一さんは振り返る。

「失恋話もたくさんの人に聞いてもらいました。最初の頃は自分だけが辛い経験をしたと思っていましたが、話を聞いてもらっているうちに客観性が出てきた気がします。アメリカ人のほうに行ってしまった彼女はこんな風に考えていたんじゃないか、あのときのオレは嫌な感じだったな、とか。今となっては、面白いネタを提供してくれた彼女に感謝しています。こうやって考えられるまでに4年ぐらいは必要でしたけど」

かつては「自分を認めてくれる唯一無二のパートナー」を求めていた隆一さん。今では「一期一会でも自分を受け入れて面白がってくれる人はいるんだな」と思い始めている。そのきっかけを与えてくれたのは、ちょっと自分勝手な美幸さんとの失恋体験だったのだ。

※登場人物はすべて仮名です。

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大宮冬洋(おおみやとうよう)

1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。

2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。

著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。

公式ホームページ
https://omiyatoyo.com

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